諸田 広美(もろた ひろみ):メゾソプラノ
Hiromi MOROTA:Mezzosoprano

L'italiano(PDF)

多感な20代前半のイタリア留学と再留学により培った、イタリア人のような
ティンブロ(Timbro,音色)・表現力・ディクションをもつ、リリックなメゾソプラノ。
ロッシーニからヴェルディまでのイタリア・オペラを中心に、イタリア歌曲、
モーツァルト作品、フランス・オペラなどの演奏を得意とする。




群馬大学教育学部音楽科卒業。
東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程オペラ科修了。
二期会オペラ研修所第48期マスタークラス修了。
イタリア・スルモナ国際オペラ研究所マスタークラス修了。
イタリア国立ミラノ・ヴェルディ音楽院卒業。

1997年〜4年間イタリア・ミラノに留学。その間、国際ロータリー財団、群馬県、
イタリア政府、(旧)安田生命クオリティオブライフ文化財団から助成を受ける。
当時、日本人として唯一ミラノ・ヴェルディ音楽院に合格。留学中、ミラノ・スカラ座
同好会ホールにおける新人演奏会をはじめ、『カヴァレリア・ルスティカーナ』や
『4人の頑固者』、『フィガロの結婚』などのオペラやコンサートに出演する。

帰国後、東京藝術大学大学院に学び、『フィガロの結婚』ケルビーノ役で
本格的にオペラ・デビュー。在学中仲間とプロダクションを組み、
オペラ『霊媒』の主役・ババ役を演じる。

その後、二期会オペラ研修所を修了(修了時に奨励賞、並びに優秀賞を受賞)。
修了と 同時に二期会オペラ公演『ジュリアス・シーザー』の準主役・トロメーオ役に
抜擢される。

2005年10月、文化庁新進芸術家海外留学制度(旧「在外研修」)により再渡伊。
同年9月、再渡伊を記念して高崎にて初リサイタルを開催。派遣先ローマでは、
ローマ歌劇場研修生として研鑽を積む。
2006年1月ミラノ・ロゼトゥーム劇場のシーズン・オーディションに合格し、
同年5月『カルメン』タイトル・ロールで同劇場デビュー。
また同年3月、ローマ・フェスティヴァル国際声楽コンクール『フィガロの結婚』
ケルビーノ部門で優勝し、2007年夏同フェスティヴァルでのデビューを予定している。

声楽を秋谷誠一、有山静枝、故渡辺恭夫、古澤泉、林康子、
Jenny ANVELT、Claudio GIOMBI、Anna DI STASIOの各氏に師事。
二期会会員。

 

1996年11月 第15回ぐんま新人演奏会 (群馬県民会館)
1997年 3月 群馬大学卒業演奏会(前橋市民文化会館)
1998年 3月 オペラ『カヴァレリア・ルスティカーナ』(ローラ役、ミラノ・グレコ劇場)
1999年 5月 オペラ『4人の頑固者』
(マルガリータ役、ミラノ・モーツァルトホール)
1999年 6月 ミラノ・スカラ座同好会ホールにおける新人演奏会
2000年 7月 第31回イタリア声楽コンコルソ・ミラノ部門本選会(紀尾井ホール)
2000年12月 群馬大学「メサイア」公演 アルト・ソロ(前橋市民文化会館)
2001年11月 日伊交流ガラコンサート(ミラノ・ロゼトゥーム劇場)
2002年10月 「マリア・カラスを探せ」コンテスト(Bunkamuraオーチャードホール)
2003年 1月 草津夏期国際アカデミー派遣報告演奏会
(群馬県生涯学習センター)
2003年10月 東京藝術大学定期オペラ公演『フィガロの結婚』
(ケルビーノ役、奏楽堂)
2003年12月 第23回「台東第九公演」アルト・ソロ(奏楽堂・東京三越本店)
2003年12月 埼玉「第九」演奏会アルト・ソロ(大宮ソニックシティ)
2004年 2月 東京藝術大学大学院修士演奏オペラ『シンデレラ』
(シンデレラ役、奏楽堂)
2004年 3月  トランス・オペラ主催オペラ『霊媒』
(マダム・フローラ役、亀有リリオホール)
2004年11月 文化庁人材育成事業・日本オペラ団体連盟主催オペラ
『フィガロの結婚』 (マルチェッリーナ役、新宿文化センター)
2005年 7月 二期会イタリア歌曲研究会「イタリア近代歌曲の夕べ」
(東京文化会館)
2005年 6月 二期会新進声楽家の夕べ(イイノホール)
2005年 9月 IFAC公演オペラ『雛祭りのフィガロの結婚』
(マルチェッリーナ役、ゆうぽうと簡易保険ホール)
2005年 9月 諸田広美 メゾソプラノ リサイタル"Ancora in Italia ! "
平成17年度文化庁在外研修制度による再渡伊を記念して
(高崎シティギャラリー コアホール)
2005年10月 二期会公演オペラ『ジュリアス・シーザー』(トロメーオ役、北とぴあ)
2006年 5月 ミラノ・ロゼトゥーム劇場公演『カルメン』(カルメン役)
2006年 7月 ローマ・ニュー・オペラ・フェスティヴァル公演『リゴレット』
(ジョヴァンナ役、ローマ・サンクレメンテ教会)
2006年 7月 カメラータ・スルモナ主催『カルメン』ハイライト(スルモナ市役所)
2006年11月 日生劇場オペラ教室オペラ『利口な女狐の物語』
(森番の妻・ふくろう)

 



8月22日群馬県前橋市生まれのB型。

幼少時代は、美術や書の分野にも才能があり、余るほど賞状をもらう。
県内一の進学校に進学し、最初は医学部を目指すものの、理科が苦手で断念。
声楽を専攻すると決め、芸大を受験するものの不合格。
その反動か?地元の大学に入学しても勉強よりもサークル活動にあけくれる日々。
果ては女性初の文化祭実行委員長を務め、友人とともにJAZZ研究会も
創立するほど

しかし!この器用貧乏さを何とかしなければと奮起。
それまで奔放な私を見守ってくれた先生方の助けもあり、
大学後半は声楽の勉強に専念する。
何故か日本の大学院進学よりも留学!と思いつき、3カ月間イタリア語を猛勉強し 、
ロータリー財団奨学生に合格してしまう ;)
それが、私のオペラティック人生の始まりとなる。

1997年8月末、Milanoに到着。
翌日には、語学研修のためFirenzeに到着。
それは忘れもしないダイアナ妃が亡くなった日。
今では笑い話だが、ホストマザーが一生懸命 「ディアーナ」と
言っているのに、、、「ああ!ダイアナかあ」と語学力がなかったため後になって理解。
1カ月経って研修が終わり、やっとMilanoへ。

私立ミラノ音楽学校に入学。声楽のレッスンに加えて、
これまで演技の勉強をしたことがなかったので、Arte Scenica(舞台芸術)も受講。
音楽学校以外の時間は、スカラ座にオペラを観に行ったり、イタリア語学校に通ったり、フラメンコまで習ったり・・・と、あっという間に1年は過ぎようとしていた。
そんなとき、イタリア国立ミラノ・ヴェルディ音楽院のJenny先生を紹介してもらう。
日本で声楽科を卒業しなかったため、イタリアのConservatorio(音楽院)に入学したいという気持ちが強くなっていった。

しかし、1度目の受験は失敗。幸運にも市立ミラノ音楽学校には合格し、
そこで後にイタリアの父と呼ぶようになるGIOMBI先生との出会いがあった。
1年間市立の音楽学校に通い、ヴェルディ音楽院に2度目の挑戦をし、晴れて合格。
しかも、日本人は1人だけだった。
こうして、GIOMBI先生とはプライベートで勉強を続けることにした。
先生とはよく勉強し、よく遊び、距離が近くなればなるほど、よく喧嘩もして、
思い出は尽きない。一番おかしな思い出は、先生の別荘があるTrieste郊外の
Muggiaにあるオズミッツァと呼ばれる自家製ワインと生ハムの店巡り。
季節によってもストックが変わるので、営業しているときは道に矢印があるのだが、
それをたどって(定員オーバーのスクーターで)よくオズミッツァ探しをしたものだ。

Milano生活も4年目に入った頃、もう挑戦できる奨学金はなくなり、
いよいよ帰国するかどうかの決断の時がきた。
音楽院卒業まであと1年で授業も声楽だけになるし、
働きながら残ることも可能だったかもしれない。
しかし、私はまだ日本で声楽家として知られていない。
このまま勉強を続けても、帰国して発表の場がなければ勉強の意味がないのは・・・
同時に、イタリアでどんなに貴重な経験をし成果がでても、日本の人たち、
特に地元群馬の人たちは「へえ〜」くらいなもので、それに対する悔しさもあった。
結局、日本の学歴で判断するのか、と。
「だったら、日本で最高の芸大を受けてみよう!」と何故か思いつく。
実際、合格したときに態度を変えた友人もいた。。。
芸大の人たちは「なんで、イタリアの後に芸大に来たの?」とよく聞いたものだ。
私の思いは複雑だった

そんな私を、世界のプリマ・ドンナ、林康子先生がクラスに拾ってくれた。
先生以外に就きたい先生もいなかった。
イタリアでマスターできなかったことでも、先生から学んだことは沢山ある。
それらを在学中は表現しきれず、先生をいつも悩ませた。
加えて、オペラ科で学べだことが何よりの財産☆
オペラの勉強はもちろんだが、精神的にも肉体的にも鍛えられた。

2005年春、二期会オペラ研修所を修了。
中村健先生はじめ、多くの方々にお世話になった。
修了直後に二期会デビュー、という機会も与えてもらった。

その波に乗って、日本で演奏活動を続けるのもよかったが、
私はイタリアでやり残したことを常々感じていた。
幸運にも文化庁在外研修員に合格し、再留学のチャンスを与えられ、
2005年10月末Romaへ出発。
なぜ再びMilanoを選ばなかったか?って?
もともとRomaの街が好きだったけれど、最初の留学のときは学校の問題もあって、
Milanoを選んだ。
それと、康子先生に「あなたはもっと南で勉強した方がよかった」と言われたことがあり、頭にひっかかっていた。
何より藝大で指導を受けたROACH先生が、Romaに戻り、
文化庁の受け入れ先として招待してくれたのが大きい。
お陰で、ローマ歌劇場で勉強することもできた。
Romaでは、往年のメゾソプラノ、Anna先生との出会いがあり、
はじめてメゾソプラノと勉強することもあり、沢山のことを吸収できたと思う。
私の夢は沢山あるけれど、その中でも大きな夢の3つだった、
ミラノ・ヴェルディ音楽院を卒業すること(何と9年越し)、
私にとって神様のFiorenza COSSOTTOと勉強すること、
Carmenを歌うこと、を今回の留学中に叶えることもできた。
そうして、2006年10月帰国。
新たなスタート地点に立ち、
これからが私のオペラ歌手としての真価が問われると感じている。

<お礼の言葉>
私に留学のチャンスを与えてくださった、
ロータリー財団・群馬県・イタリア政府・
(旧)安田生命クオリティオブライフ文化財団・文化庁の関係者の皆様、
これまで応援してくださった諸先生方とファンの皆さん、
日本とイタリアの友人のみんな、そして家族に、
この場をかりて心より感謝いたします。Grazie mille !!!

諸田 広美 Hiromi MOROTA